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タイ・バンチェン遺跡 Ban Chiang,Thailand

バンチェン タイ東北部、コラート高原北部に位置するウドンタニ(Udon Thani)県バンチェン(Ban Chiang)にある紀元前2100年~紀元後200年ごろの古代遺跡。本格的な発掘は1960年以降、タイ芸術局や米ペンシルベニア大学などが行いました。独特の彩文土器が有名ですが、右の写真のような濃紺のそろばん玉のような形をした半透明のガラス玉も数多く出土し、地元のバンチェン国立博物館を始め東京国立博物館やベルリン・ダーレムにある国立民族学博物館などでも見ることができます。

 バンチェンとその周辺の遺跡では学術調査の一方、多くの土器、青銅器、ガラス玉が盗掘されて骨董市場へ流出し、日本にも数多く持ち込まれました。骨董市場でも考古学会でも土器への関心が高い反面、ガラス玉の学術的な分析はほとんど進まず、発掘調査報告書などでもガラス玉への言及はほとんど見当たりません。そのため、これらのガラス玉の製造・流通時期すらはっきりしていません。

 1980年代の東京国立博物館の図録によると、バンチェンのガラス玉は彩文土器や青銅器と一緒に出土したという説と、その上層から出土したという説があり、「ガラス玉は紀元前後から4~5世紀と考えられるが確証はない」ということです。現在の東京国立博物館の展示では「前1千世紀末~後1千世紀初頭」と解説し、ベルリンの国立民族博物館は「紀元前1200年~200年ごろ」としています。

ban3s.jpgban2s.jpg そろばん玉状のガラス玉の他にも、長さ20cm近くもある「管玉」(東京国立博物館蔵)、「けつ状耳飾り」「渦巻型耳飾り」「腕輪」(ベルリン国立民族博物館蔵)などのガラス製品が発掘されています。管玉は身に着けるには大きすぎるため、財貨として扱われていたとの指摘もあり、いずれせよ、ローマや中東、中国のガラスとは異なるガラス文化が古代のインドシナ半島に生まれていたことがうかがえます。

 また、インドパシフィックビーズと思われる橙色のディスク状ガラス玉の首飾り(紀元前300~200年、バンチェン国立博物館蔵)も発掘されています。

ベトナム・サーフィン遺跡 Sa Huynh,Viet Nam

 ベトナム中部、クアンガイ省の砂浜海岸サーフィン(Sa Huynh)にある古代遺跡。ベトナム国内の広い範囲に同系列の遺跡が分布し、総じてサーフィン文化と呼ばれています。紀元前1千年紀中頃に始まる青銅器段階『早期サーフィン文化』と、紀元前後の鉄器をともなう段階『典型サーフィン文化』に区分されています。
 
 サーフィン文化は甕棺墓群が特徴で、甕棺の内外には下図のようなガラス玉や特徴的な「有角けつ状耳飾り(右の写真・ガラス製Ling Ling-O型・右角が欠損)」「双獣頭形耳飾り」などの装身具も副葬されていました。これらの耳飾りは石製とガラス製があり、フィリピンのルソン島やパラワン島、台湾蘭嶼島、タイ中西部、マレー半島などでも発見されています。

 サーフィン遺跡から出土したガラス玉の一部は、1930年代にフランス人マドレーヌ・コラニ(Madeleine Colani)が報告しています。ガラス玉は現地で生産された可能性もあるものの、「大多数は輸入品で、当時既に国際交易ネットワークが存在した」と指摘したそうです。1940年代には日本人研究者は「青緑色のローマ式グラス珠が多く出土した。このグラス珠の密度は2・40で、鉛もバリウムも含まず、まったくのローマ製と思われる」としています。
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 しかし、近年の研究によると、ガラス玉には確かに輸入品が存在するものの、サーフィン文化期にはガラス製品を製造する技術が現地で確立しており、ベトナム北部のドンソン文化まで広まったという有力な説が提示されています。

 紀元前111年、前漢がベトナム北部にあった南越国を滅ぼし、中部ベトナムまでを占領すると、現在のフエのあたりに日南郡を置きましたが、紀元後192年、反乱が起きて林邑(りんゆう・チャンパ王国)が成立しました。この林邑の範囲はサーフィン文化の甕棺墓遺跡の広がりとほぼ重なっており、サーフィン文化は林邑文明の直接の祖先と見なされているということです。

ベトナム・オケオ遺跡 Oc-èo,Viet Nam

 林邑が成立したころ、ベトナム南部・カンボジアの一帯には扶南(フナン王国・1~7世紀)がありました。ベトナム南部キエンザン省にあるオケオは、扶南の海外交易の中心都市と考えられている2~6世紀ごろの遺跡です。1942年、フランス人ルイ・マルレ(Louis Malleret)が発見し、遺跡からは漢の鏡やローマの金貨などが見つかりました。なかでも、ローマのガラス玉・とんぼ玉も大量に発掘され、『ローマ=インド=インドシナ=中国』を結ぶ海の貿易路を直接的に物語る遺跡とされています。…続く(2006.4.29)

ラオス・ジャール平原 Plain of Jars,Lao

r1s.jpg ラオス北部、ジャール平原のチャンニン地区には、最大で高さ3メートル、重さ15トンにもなる石甕や墓標石が多数集まる巨石遺跡群があります。これらの遺跡は1930年代にフランス極東学院のマドレーヌ・コラニ(Madeleine Colani)によって調査され、世界に広く知れ渡ることになりました。十分な深さのある石甕は骨壺として使われ、石甕の中や周辺の土中からは人骨や歯、鉄器や土器の破片、ガラス製ビーズなどの副葬品が発見されました。

 右上のイラストはジャール平原の中でも、約250基と最も多く石甕が密集しているバンアン(Ban Ang)遺跡からコラニによって発見されたとんぼ玉です。他にも下のイラストの様なガラス製ビーズが、遺跡からも多数見つかっているということです。

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 これらの巨大遺跡群がいつ建造されたかについては、いまだ解明されていません。「出土した青銅器類がバンチェン文化後期典型サーフィン期と共通し、紀元前後に建造された」「出土した土器の文様などから、8~14世紀ごろに建造された」といった見方があるようですが、出土物は概ね紀元前500~紀元800年ごろのものであるということです。

 コラニはビーズの多くは漢からの輸入品だったとしているようですが、1940年代には別の日本人学者が「ガラス玉の成分などからローマ起源のもの」だとしています。…続く(2006/6/27)


ナザール・ボンジュウ Nazar Boncugu, Turkey

NazarBoncugu 右の写真はトルコのおみやげ品として有名なガラスのお守り『ナザール・ボンジュウ(Nazar Boncugu)』です。邪視除けとして、現地でも玄関や車内に飾られており、地元のスーパーやイスタンブールのグランドバザール(カパル・チャルシュ)などで大量に売られています 。

 写真の様な円盤状で青地のものが主流ですが、ビーズ状のものも多く作られています。一部の職人はグランドバザール近くの雑居ビル内に工房を構え、蛍光灯などの廃品ガラスや棒ガラスを原料にガスバーナーで作っているとのことですが、エーゲ海に面するトルコ第三の都市イズミル近郊にあるギョレジェ市(Gorece)やクルデレ村(Kurudere)では、オスマン朝(1299-1922年)以来の伝統的な窯を使ってナザールボンジュウを作っています。

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【とんぼ玉とビーズの世界史】
人類最古のビーズ(10~9万年前 )  古代エジプト・隕石のビーズ(B.C.3000年頃)   宝貝のビーズ(B.C.1000年頃~)   17世紀のとんぼ玉   20世紀のとんぼ玉

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【日本・中国のとんぼ玉】
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【アジア・オセアニアの諸民族】
台湾・パイワン族(排灣族)  《民藝 76号》  ボルネオ島・ダヤク族  パラオ共和国(ウドウド)  ミクロネシア連邦(ヤップ島)  インド・ナガ族

【アジアのとんぼ玉】
インド・バラナシ  インドパシフィックビーズ  ジャワ・ジャティムビーズ  ニューギニアビーズ

【東南アジアの遺跡】
タイ・バンチェン  ベトナム・サーフィン  ベトナム・オケオ  ラオス・ジャール平原

【コレクション】
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