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ボヘミア・ロシアンブルー(Russian Blue)

 右の写真はロシアンブルーと呼ばれるボヘミア産(現在のチェコ共和国)のビーズです。主に19世紀前半に西アフリカで黒人奴隷と交換されたビーズで、アラスカなどアメリカ北西部の太平洋沿岸地域でも先住民との毛皮貿易で使われてきました。ロシアンブルーという名前は、アラスカのビーズ収集家が付けたということです。このビーズが作られた1800年代、ヴェネチアにはガラスの菅玉をカットする研磨機を回転させる安価なエネルギーがありませんでしたが、ボヘミアには水車を回すための豊富な水力があり、このような多面体のビーズを大量に生産することができたということです。ボヘミアで作られたビーズが西アフリカに運ばれたルートは、他のトレードビーズと大きな違いはないと思われますが、どのようにアメリカ北西部まで運ばれたのかについては、現在でも幾つかの説があります。

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キッファビーズ(Kiffa Beads, Mauritania)

kiffa.jpg 右の写真はモーリタニアのキッファという町でつくられたとんぼ玉で、20世紀前半に作られた『オールドキッファ』と呼ばれるものです。その存在は1949年、フランスの民族学者R.Maunyが報告し、1980年代に、アメリカのコレクターがキッファビーズと名付けました。1980年代以降、キッファビーズはアメリカのビーズ研究の大きなテーマになり、多くの研究者やコレクターがこのビーズを求めてモーリタニアに旅立ちました。

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アフリカ・カメルーン Semi-Bantu,Cameroon

cameroon0 左の写真はアフリカ・カメルーン西部のバメンダ高原(グラスフィールド)に住むバンツー系部族の女性と赤ん坊です。1900年代前半、フランス人によって撮影された写真で、母親の乳を吸う赤ん坊の首には立派なシェブロン玉の首飾りが確認できます。バンツー系部族はバミレケ族、バムン族、ティカール族などに分かれますが、バミレケ族のシェブロン玉の首飾りは日本の国立民族学博物館にも収蔵されています。

cameroon_beads.jpg バメンダ高原には首長国が200以上あり、それぞれの国は川筋や尾根道でつながり交易が行われてきたということです。高原の南に位置しギニア湾に面する港町ドゥアラDoualaには、1900年代前半、ベネチアやボヘミアのとんぼ玉を扱う商社『J.F.Sick & Co.』の事務所が開設されており、交易を通してこの高原の部族までシェブロン玉がもたらされたと考えられます。Sick社の拠点から比較的近かったためか、首飾りにシェブロン玉が豊富に使われているのが特徴です。…続く(2007.8.17)

アフリカ・ベルベル人 Berbers,North Africa

 右の写真は北アフリカ(エジプト西部の砂漠地帯からモロッコまで)に住むベルベル人(Berbers)のアクセサリーで、銀の線条細工(Filigree Work)にベネチアのとんぼ玉(黄色地のシングルモチーフのミルフィオリ)が組み合わされています。モロッコではエナメルで模様を施した銀細工がベルベル人の装飾として有名ですが、エジプト周辺では銀の線条細工がベルベル人のアクセサリーとして取り入れられています。写真の垂飾は先日、エジプト・カイロにあるベルベル人のアンティーク装飾品を扱う店で入手したものです。

berber2.jpg ベルベル人は主にイスラム教を信じる非アラブ系の先住民族です。線条細工は、イスラム教の影響で生き物を模様として表現することを避け、直線や円、らせんや唐草模様といった抽象的な形を作り出すのに向いています。アフリカからヨーロッパやインドへ抜ける貿易路の中継地として栄えたエジプトで金や銀細工の技術が高まり、線条細工も盛んになったということです。 貿易でもたらされたとんぼ玉と、地元の銀細工の技術が融合した興味深い装飾品です。 (2007.9.10)

江戸とんぼ玉

 町人が文化の中心となって芸術、娯楽、経済、物流が非常に活発になった江戸時代(1603-1867年)。町人の間では「印籠・巾着」「煙草入れ」「簪・櫛」などの提物(さげもの)や髪飾りが流行し、玉の需要が大きく増加しました。明治時代に書かれた黒川真頼著『工芸志料』(1878年)などによると、徳川家康が江戸に幕府を開いた慶長年間(1596-1615年)に印籠や巾着を腰につけるのが広まり始め、その後寛文年間(1661-73年)に煙草入れが流行、玉はこれら提物の緒締(おじめ)として需要が急増しました。江戸後期になると、印籠は上級武士や富裕な町人だけではなく広く町民の間でも使われるようになり、文化年間(1804-18)には女性が簪や櫛に玉をつけるのが江戸・大坂・京都の三都をはじめ各地で流行したということです。

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大阪・泉州のとんぼ玉

 大阪・泉州地域でのとんぼ玉づくり。1949年に大阪で発行された杉江重誠編集『日本ガラス工業史』にはガラス産業の発展の歴史が詳しく記されており、泉州玉・さかとんぼの起源についても次のように説明しています。

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《小さな蕾 No.458》 とんぼ玉に誘われて

 2006年9月号の古美術・骨董情報誌『小さな蕾 No.458』にはとんぼ玉が特集されています。ガラス研究家として著名な加藤孝次氏がどのようにとんぼ玉に魅せられていったのかについて記した「とんぼ玉に誘われて」というエッセイと、コレクションの写真が掲載されています。表紙には乾隆玉江戸とんぼ玉などが映っています。また、「江戸とんぼのいろいろ」と題された4ページのコーナーにはガンギ玉や法隆寺玉、筋玉など代表的な江戸時代のとんぼ玉が15種類ほど、写真付きで紹介されています。

 現在、アマゾンでは品切れですが、出版元の創樹社美術出版がヤフーショッピングに開設しているサイトから直接購入することが出来ます。

日本・アイヌ玉 (シトキ・タマサイ) Ainu,Japan

 左の写真は盛装しているアイヌ女性(アイヌメノコ)です。女性の首飾りの中央にある金属製の飾板をシトキといい、転じて飾板のある首飾り全体がシトキと呼ばれています。内側の玉だけのものはタマサイ(玉サイ・玉彩)といい、シトキは重い宗教的儀式に用い、タマサイは盛装した時、あるいは普通の儀式に使われたということです。アイヌ女性にとって玉類はとても大切なもので、祖母から母へ、母から娘に女の魂として代々伝えられ、家の上座にある宝物座の玉手箱などに安置されていたということです。

 首に直接巻き付けられているのはレクトゥンペという飾り布で、金属製飾板が縫いつけられています。レクトゥンペが本来の『首飾り』であって、シトキ・タマサイは『胸飾り』といった方が正確かもしれません。鉢巻きはマタンプシといい、明治の中頃までは男性だけが仕事の時に髪が乱れないように頭に巻いていました。

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《民藝 387号》 あいぬ玉 1985.3

mingei.jpg 1985年、日本民藝協会が発行した雑誌『民藝 387号』には「あいぬ玉」が特集されています。アイヌ玉の研究とコレクションで知られる小林泰一氏の文章(著書からの抄約)と、日本民藝館(東京・目黒)と同氏が収集したシトキ・タマサイのコレクションの写真が掲載されており、同年3月まで日本民藝館で開催されていたアイヌ工芸の企画展に対応した特集です。同氏は1940年に札幌の骨董店で小玉2個を購入して以来、アイヌ玉を集め、玉に関する考古学的な文献を購入し研究を重ねてきたということで、アイヌ玉の名称や飾り方、玉に対する土俗信仰など大まかな概要が分かる特集となっています。

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中国・乾隆玉と単色玉

peking glass1 右の写真は1939年当時、北京市内にあったビーズ屋の軒先に掲げられていた看板の一部で、青や水色、白、緑の単色玉が連なっています。中国では14世紀から今日に至るまで、山東省淄博(しはく)市郊外に位置する博山(Boshan)がガラス生産の一大拠点で、中国産のガラス玉の多くはこの博山で作られたと考えられています。清朝(1644-1912)初期に書かれた書物には博山のガラス生産に関する記述があり、鉄や銅、コバルトなどガラスの着色剤について書かれており、後世の研究によると博山で作られた色とりどりの単色玉が広く交易に使われてきたことが分かっています。

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台湾・パイワン族 Paiwan,Taiwan

paiwan.jpg 左の写真は盛装している台湾・パイワン族の女性です。女性の首にはとんぼ玉の首飾りがかけられています。

 かつて高砂族と呼ばれた台湾の原住民は、居住地域や習慣、言語などの違いによってタイヤル(泰雅・アタヤル)族 、アミ(阿美)族、ツォウ(鄒)族 、ブヌン(布農)族、プユマ(卑南)族、ルカイ(魯凱)族、パイワン(排湾)族、ヤミ(雅美)族の9族に大きく分けられました。

 1930年代の日本統治時代に行われた調査などによると、台湾南部の山岳地帯に住むパイワン族のブツル群に属する人々が特にとんぼ玉を珍重していたそうです。パイワン族の至宝は頚飾玉と素焼の小壷で、この小壷に頚飾玉を秘蔵し、屋根裏などの人目にふれない場所に小壷を隠して置いたということです。その価値は、ある村では「首飾りの主玉の値は女頭目一人の生命と同じ」「故意に人を死に至らしめた時には、五粒の首飾り玉を以て償いとする」などと明確に決められていたようです。

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《民藝 76号》 台湾パイワン族頸飾り 1959.4

パイワン族 「表紙に載せたのは、往年私が渡台の折りに求めた一個で、パイワン族のもの。パイワン族は、台湾の一番南端に住む民族で、台湾全島に住む七種の高砂族のうち、最も優秀な工芸品を持つ種族だと云へる。織物にも非常に美しいものがあるが、装身具にも大したものがある。私はこの種のものに就いての詳しい歴史を知らぬが材料は殆ど皆支那から渡つてきたものだと云はれる。石もあり硝子もあり、珊瑚もあり又貝もあり、練物もあるであらう。それを土人が自らの好みで、形や色や柄の取合せをしたのである。之はもとより頸飾りで、巾広の個所が半月形をなして胸の上に垂れかかる。私の見たパイワン族のアクセサリーの中で、最も美しいものの一個であった。それで私はいたくこの一個に熱心して、旅先で之を買入れるために、内地から電報為替で態々送金して貰つたことを覚えてゐる。取り出して眺める度毎に、「買つておいてよかつた」といつも感深く思ふ程、その美しさが際立つてゐる。トンボ玉を愛する人達には定めし垂涎の一個であろう。玉の数も大変な数にならう。仮に今、これより美しい頸飾りを探さうとして、万金を抱いて巴里の町々を歩き廻つたとしても、さうすぐには見つかるまい。色や形の美しさは、譬へやうもないのである。然るに未開人と呼ばれ、蛮人と蔑まれる人達の作ったものであるから、考えさせられるではないか。之は古作品だが、今の流行の品と雖も之より更に新しく且つ美しいであらうか。」(柳宗悦『民藝 76号』)

※とんぼ玉と民芸の関係については→《民藝 387号》 あいぬ玉 1985.3

フィリピン・カリンガ族 Kalinga,Philippines

 左の写真はフィリピン・ルソン島北部の山岳地帯に住むカリンガ族の女性です。細かい模様までは判別できませんが、とんぼ玉のネックレスをしているようです。

 1930年代後半にこの地を探検した研究者によると、台湾のパイワン族のとんぼ玉と非常によく似た玉が使われており、さらに北方に住むイスネグ族も同じような玉を持っているということです。

 カリンガ族の女性が布に施す刺繍や紋様などもパイワン族と共通で、容貌も似ていることが指摘されています。

ボルネオ島・ダヤク族 Dayaks,Borneo

kayans1.jpg 左の写真はボルネオ島・中北部の山岳地帯のジャングルに住むカヤン(Kayan)族の女性です。耳に大きな真鍮製のイヤリングをし、首には何連ものとんぼ玉のネックレスをしています。

 ボルネオ島は赤道直下にある世界で3番目に大きい島で、日本の約2倍の面積があります。北西部の27%がマレーシア領(サラワク・サバ)、そこに囲まれた1%がブルネイ、東部から南西部にかけての72%がインドネシア領(カリマンタン)です。イスラム教徒でもマレー人でもないボルネオの原住民がダヤク(dayaks)族で、ダヤク族はさらに焼畑民族のカヤン族やケンヤ族、狩猟採取民族のプナン族などに分類されます。

 1910年代のボルネオ島の習俗に関する調査によると、カヤン族はボルネオ島の諸民族のなかでも特にとんぼ玉を珍重し、一部の女性は、古いビーズと現代の模倣品を見分ける能力が非常に高いということです。この理由について、戦前にボルネオを探検したある日本の研究者は「遠祖より何百年かの長きにわたって多くの玉を手に入れた経験により、玉の価値を知りえるようになったのであろう」と述べています。

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パラオ共和国(ウドウド) Palau

palau.jpg 左の写真は1910年代、日本統治下のパラオで撮影された女性です。首には舟形のウドウド(udoudo)と呼ばれる玉がついたネックレスをしています。ウドウドは、現在でもレプリカがお土産として売られているようですが、本来はパラオ人が伝統的に使用している財貨で、『オセアニアを知る事典』によると、人生儀式のさまざな機会に、夫方集団から妻方集団に贈られるということです。そのため、女性はロレラ・ウドウド(財貨の来る道)といわれるそうです。

 パラオは1885年にスペインの植民地となり、1899年にドイツに売却されました。1914年に第一次世界大戦が始まると日本軍がパラオを占領し、第二次世界大戦の終結まで日本の委任信託領となりました。

 1941年にパラオ・コラールの南洋庁書記として働いていた作家・中島敦は小説の中で、

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ミクロネシア連邦(ヤップ島) Yap,Micronesia

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 パラオから約480キロ北東に離れたミクロネシア連邦のヤップ島。マンタが見られるダイビングや、巨大な石の通貨が存在する事で有名ですが、ここにもかつて、右の写真に見られるようなとんぼ玉が流通していました。

 ミクロネシアの歴史はパラオの歴史と大きく重なります。1500年代にスペイン人がミクロネシアの島々に来航し、1886年に領有権を宣言。1899年にスペインは島々をドイツに売却し、1914年に第1次世界大戦が始まると日本が占領し国際連盟から委任統治が認められ、1945年の第2次世界大戦終結まで続きました。

 2001年に発行された国立民族学博物館の解説本によると、ミクロネシアにある16世紀の遺跡からイモガイで作られたビーズの埋葬品が発掘されたということです。同著によると、その後ガラスビーズは導入されましたが「とんぼ玉は導入されなかった」ということです。しかし、1899〜1914年までのドイツ統治下で、本国に持ち帰られた現地資料の中に写真に見られるとんぼ玉がついた装飾ベルト(腰ひも)が含まれていました。…続く(2006.7.1)

Appendix

 

Masters: Glass Beads: Major Works by Leading Artists (The Masters)Masters: Glass Beads〜とんぼ玉の名匠たち〜 KOBEとんぼ玉ミュージアムでは本書の出版を記念して2008年 7月11日(金)から10月6日(月)までの間、掲載される世界の名匠40名の作品を紹介する企画展を実施する予定です。

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とんぼ玉

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