
1964年、
東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫、団員:
深井晋司ら)がカスピ海の南に位置するイラン・ギーラーン州のデーラマン盆地・ガレクティの遺跡を発掘し、1号丘5号墓から多数の重層貼眼玉(写真左)を発見しました。典型的な
フェニキア玉で、墓の年代は紀元前5世紀ごろ、アケメネス朝時代と考えられています。埋葬されていたのは熟年男性ですが、身分は分かっていないということです。副葬品は他にも銅の腕輪、縞メノウの垂飾、金や銅の耳飾り、エジプト産とみられるファイアンスのウジャドの眼、下の写真のような細長いとんぼ玉も出土しました。これらの出土品の半分は当時のイラン国内法に基づき調査団が持ち帰り、残り半分はテヘランの博物館が収蔵しているとのことです。

デーラマン盆地で発掘されたこれらアケメネス朝のとんぼ玉や、他の遺跡で見つかったササン朝のガラス腕がどこで作られたのかは定かではありませんが、少なくともこの盆地で作られたものではなさそうです。この地域を実際に訪れたある日本の考古学者は、ガラス製造の工房跡が見つかっていないことや、原料になるフリットや砂をどこから手に入れたのか不明であることを挙げた上で、「デーラマン地方が存外渓谷河川沿いに四通八達した交易路、商業路のターミナルだったかもしれないとは充分考えられても、シリア海辺部のシドンやエジプトデルタ地域のアレキサンドリアといった有名なガラス工房都市(中略)などと比較しても、工房はなかなか在りそうもないように見える」と記しています。
やはり、重層貼眼玉は当時アケメネス朝が影響下においていたフェニキアからもたらされた可能性が高いと思われます。(2007.8.5)
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