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KOBEとんぼ玉ミュージアム内に事務局を置くジャパンランプワークソサエティ(The Japan Lampwork society)が2007年10月、とんぼ玉をはじめとするランプワークの技法、作品などを紹介する雑誌『LAMMAGA』(ランマガ・ランプワークマガジン)を創刊しました。年4回の季刊(1、4、7、10月)で、定価1000円。既に第3号まで販売されています。当ブログも一部記事を提供しています。【第3号】(2008年4月 春号)■...
2006年6月23日付米科学誌サイエンスによると、英ロンドン大などの国際研究チームが、9〜10万年前に作られたとみられる人類最古の装飾品となる貝殻のビーズ3個を発見しました。大きさは約1.5〜2センチで、 Nassariusという海の軟体動物がつくり出した小さな巻き貝に石器で穴を開け、植物のひもなどを通してネックレスかブレスレットにしていたとみられるそうです。...
1986年、中国四川省広漢市の西南にある三星堆遺跡に2つの祭祀坑が見つかり、青銅器や玉器、象牙など大量の文物が発掘されました。黄金のマスクをつけた青銅の仮面(左の写真)が有名ですが、紀元前約1000年ごろのものとみられる祭祀坑からはからは約4700個の宝貝(タカラガイ、子安貝)も見つかりました。 この時代の宝貝には穴があけられたり表面が削り取られたりして紐が通されており、世界でもっとも早い時期の貨幣(貝貨)として...
黎明期(紀元前2000年紀)のガラスは2つの川、すなわちナイル川とチグリス・ユーフラテス川の河畔に成立して発展しましたが、紀元前1000年紀になると、ガラス発展の中心地は地中海を取りまく地域へと移っていきました。なかでも、地中海東海岸に位置するフェニキアのシドンはガラス生産の中心地として発展し、フェニキアや植民地カルタゴでは右の写真のような重層貼眼玉やコアガラス、人頭とんぼ玉が生産され輸出されました。重層...
西はエジプト、東はインダス川流域まで支配したアケメネス朝ペルシア(B.C.550-B.C.330)の都ペルセポリスから左の写真のような白い重層貼眼玉が出土しました。模様の最下層の白地を横にのばし紺色の目の象嵌が特徴で、フェニキア玉の一種と考えられており「ペルセポリス型」と呼ばれています。ペルセポリスにはフェニキアを始めとする多くの植民地から朝貢品が届けられましたが、紀元前330年にマケドニアのアレクサンドロス大王の...
1964年、東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫、団員:深井晋司ら)がカスピ海の南に位置するイラン・ギーラーン州のデーラマン盆地・ガレクティの遺跡を発掘し、1号丘5号墓から多数の重層貼眼玉(写真左)を発見しました。典型的なフェニキア玉で、墓の年代は紀元前5世紀ごろ、アケメネス朝時代と考えられています。埋葬されていたのは熟年男性ですが、身分は分かっていないということです。副葬品は他にも銅の腕輪...
1985年2月、東京大学東洋文化研究所の深井晋司教授が亡くなりました。古代ペルシャ美術、特にガラスについての世界的権威だった深井教授は同年3月に研究所を定年退職する予定で、前年の8月から本著を出版するべく準備していたということです。没後、関係者によって刊行された本著は、全238ページの大型本で、おそらく日本で発行されたとんぼ玉をテーマにした本のなかで最も豪華で迫力のある1冊に違いありません。豊富な図版は全...
1846年、オーストリア・ザルツブルク南東の村『ハルシュタットHallstatt』にある古代墓地が発掘され、中央ヨーロッパにローマ人が到来する遙か昔、ケルト人による高度な文明が成立していたことが判明しました。紀元前800年〜同450年頃に、現在のオーストリアからバルカン半島北部、フランス東部にいたるドナウ川流域を中心とする広い範囲で栄えた文化は『ハルシュタット文化』と呼ばれ、スロベニア(旧ユーゴスラビア)の都市、ノ...
右の写真は帝政ローマ期(紀元前27年〜紀元後395年)に地中海東岸、現在のレバノン、イスラエル、シリア、ヨルダン付近で製作され流通していた容器型とんぼ玉です。取っ手が一つあり、網のようなジグザグの透かし模様が胴体部分を包んでいるのが特徴で、口から内部が空洞になっているタイプと、ふさがっているタイプがあるようです。写真は空洞タイプで全長約2.2センチ、空洞部分は口から約1.2センチです。日本では類品が、横浜...
主にアフリカとの貿易のためにベネチアで作られたとんぼ玉で、アフリカントレードビーズ(African Trade Beads)とも呼ばれています。シェブロン、ミルフィオリ、オッキオ、ピュマータなど色、形、模様は本当に多種多様で数多くの文献がありますが、その決定版とも言える本『The Bead Goes on: The Sample Card Collection With Trade Beads from the Company J.f. Sick & Co. in the Tropenmuseum, Amsterdam』が出版されました...
右の写真はロシアンブルーと呼ばれるボヘミア産(現在のチェコ共和国)のビーズです。主に19世紀前半に西アフリカで黒人奴隷と交換されたビーズで、アラスカなどアメリカ北西部の太平洋沿岸地域でも先住民との毛皮貿易で使われてきました。ロシアンブルーという名前は、アラスカのビーズ収集家が付けたということです。このビーズが作られた1800年代、ヴェネチアにはガラスの菅玉をカットする研磨機を回転させる安価なエネルギーが...
右の写真はモーリタニアのキッファという町でつくられたとんぼ玉で、20世紀前半に作られた『オールドキッファ』と呼ばれるものです。その存在は1949年、フランスの民族学者R.Maunyが報告し、1980年代に、アメリカのコレクターがキッファビーズと名付けました。1980年代以降、キッファビーズはアメリカのビーズ研究の大きなテーマになり、多くの研究者やコレクターがこのビーズを求めてモーリタニアに旅立ちました。...
左の写真はアフリカ・カメルーン西部のバメンダ高原(グラスフィールド)に住むバンツー系部族の女性と赤ん坊です。1900年代前半、フランス人によって撮影された写真で、母親の乳を吸う赤ん坊の首には立派なシェブロン玉の首飾りが確認できます。バンツー系部族はバミレケ族、バムン族、ティカール族などに分かれますが、バミレケ族のシェブロン玉の首飾りは日本の国立民族学博物館にも収蔵されています。 バメンダ高原に...
右の写真は北アフリカ(エジプト西部の砂漠地帯からモロッコまで)に住むベルベル人(Berbers)のアクセサリーで、銀の線条細工(Filigree Work)にベネチアのとんぼ玉(黄色地のシングルモチーフのミルフィオリ)が組み合わされています。モロッコではエナメルで模様を施した銀細工がベルベル人の装飾として有名ですが、エジプト周辺では銀の線条細工がベルベル人のアクセサリーとして取り入れられています。写真の垂飾は先日、...
2006年9月号の古美術・骨董情報誌『小さな蕾 No.458』にはとんぼ玉が特集されています。ガラス研究家として著名な加藤孝次氏がどのようにとんぼ玉に魅せられていったのかについて記した「とんぼ玉に誘われて」というエッセイと、コレクションの写真が掲載されています。表紙には乾隆玉や江戸とんぼ玉などが映っています。また、「江戸とんぼのいろいろ」と題された4ページのコーナーにはガンギ玉や法隆寺玉、筋玉など代表的な江...
1985年、日本民藝協会が発行した雑誌『民藝 387号』には「あいぬ玉」が特集されています。アイヌ玉の研究とコレクションで知られる小林泰一氏の文章(著書からの抄約)と、日本民藝館(東京・目黒)と同氏が収集したシトキ・タマサイのコレクションの写真が掲載されており、同年3月まで日本民藝館で開催されていたアイヌ工芸の企画展に対応した特集です。同氏は1940年に札幌の骨董店で小玉2個を購入して以来、アイヌ玉を集め、玉に...
右の写真は1939年当時、北京市内にあったビーズ屋の軒先に掲げられていた看板の一部で、青や水色、白、緑の単色玉が連なっています。中国では14世紀から今日に至るまで、山東省淄博(しはく)市郊外に位置する博山(Boshan)がガラス生産の一大拠点で、中国産のガラス玉の多くはこの博山で作られたと考えられています。清朝(1644-1912)初期に書かれた書物には博山のガラス生産に関する記述があり、鉄や銅、コバルトなどガラ...
「表紙に載せたのは、往年私が渡台の折りに求めた一個で、パイワン族のもの。パイワン族は、台湾の一番南端に住む民族で、台湾全島に住む七種の高砂族のうち、最も優秀な工芸品を持つ種族だと云へる。織物にも非常に美しいものがあるが、装身具にも大したものがある。私はこの種のものに就いての詳しい歴史を知らぬが材料は殆ど皆支那から渡つてきたものだと云はれる。石もあり硝子もあり、珊瑚もあり又貝もあり、練物もあるで...
左の写真はフィリピン・ルソン島北部の山岳地帯に住むカリンガ族の女性です。細かい模様までは判別できませんが、とんぼ玉のネックレスをしているようです。 1930年代後半にこの地を探検した研究者によると、台湾のパイワン族のとんぼ玉と非常によく似た玉が使われており、さらに北方に住むイスネグ族も同じような玉を持っているということです。 カリンガ族の女性が布に施す刺繍や紋様などもパイワン族と共通で、容貌も似てい...
左の写真はボルネオ島・中北部の山岳地帯のジャングルに住むカヤン(Kayan)族の女性です。耳に大きな真鍮製のイヤリングをし、首には何連ものとんぼ玉のネックレスをしています。 ボルネオ島は赤道直下にある世界で3番目に大きい島で、日本の約2倍の面積があります。北西部の27%がマレーシア領(サラワク・サバ)、そこに囲まれた1%がブルネイ、東部から南西部にかけての72%がインドネシア領(カリマンタン)です。イスラム教徒でも...
左の写真は1910年代、日本統治下のパラオで撮影された女性です。首には舟形のウドウド(udoudo)と呼ばれる玉がついたネックレスをしています。ウドウドは、現在でもレプリカがお土産として売られているようですが、本来はパラオ人が伝統的に使用している財貨で、『オセアニアを知る事典』によると、人生儀式のさまざな機会に、夫方集団から妻方集団に贈られるということです。そのため、女性はロレラ・ウドウド(財貨の来る道)と...
パラオから約480キロ北東に離れたミクロネシア連邦のヤップ島。マンタが見られるダイビングや、巨大な石の通貨が存在する事で有名ですが、ここにもかつて、右の写真に見られるようなとんぼ玉が流通していました。 ミクロネシアの歴史はパラオの歴史と大きく重なります。1500年代にスペイン人がミクロネシアの島々に来航し、1886年に領有権を宣言。1899年にスペインは島々をドイツに売却し、1914年に第1次世界大戦が始まると日...
ナガ族とは、インド東部のナガランド、マニプール、アッサム、及び、ミャンマーの西北部の山岳地帯に暮らすナガ部族の総称で、ナガランドではコヒマを中心とするアンガミ(Angami)族、モコクチュンを中心とするアオ(Ao)族などから構成されています。ナガランドは第二次世界大戦中に日本軍によって実行されたインパール作戦の舞台となった地域で、ナガ族はかつて首狩りの習慣があったことで知られています。 ナガ族はビーズジュエ...
インドパシフィックビーズとは、右の写真のような『インド洋でつくられた引きガラス方法による単色のビーズ』のことで、インド南東部の遺跡アリカメドゥ(Aricamedu)で紀元前2世紀頃から作られたとされています。 紀元1世紀の終わりか2世紀の初めごろには、ベトナムのオケオや、スリランカ、マレーシア、タイまで製作技法が伝わり、アリカメドゥの職人が移住したパパナイドゥペトゥ(Papanaidupet)では現在まで2000年以上にわたり...
インドシナとは、インドと中国に挟まれているベトナム・ラオス・カンボジアの3カ国に加え、タイ・ミャンマー両国のマレー半島部分を除く地域で、この半島にあるバンチェン(タイ)・ジャール平原(ラオス)・サーフィン(ベトナム中東部)・オケオ(ベトナム南部)などの古代遺跡から、多くのガラス玉・とんぼ玉が見つかりました。 1960年ごろから本格的に調査されたバンチェン遺跡及びその周辺の遺跡からはインドパシフィックビーズに...
タイ東北部、コラート高原北部に位置するウドンタニ(Udon Thani)県バンチェン(Ban Chiang)にある紀元前2100年〜紀元後200年ごろの古代遺跡。本格的な発掘は1960年以降、タイ芸術局や米ペンシルベニア大学などが行いました。独特の彩文土器が有名ですが、右の写真のような濃紺のそろばん玉のような形をした半透明のガラス玉も数多く出土し、地元のバンチェン国立博物館を始め東京国立博物館やベルリン・ダーレムにある国立民族学...
ベトナム中部、クアンガイ省の砂浜海岸サーフィン(Sa Huynh)にある古代遺跡。ベトナム国内の広い範囲に同系列の遺跡が分布し、総じてサーフィン文化と呼ばれています。紀元前1千年紀中頃に始まる青銅器段階『早期サーフィン文化』と、紀元前後の鉄器をともなう段階『典型サーフィン文化』に区分されています。 サーフィン文化は甕棺墓群が特徴で、甕棺の内外には下図のようなガラス玉や特徴的な「有角けつ状耳飾り(右の写真・...
林邑が成立したころ、ベトナム南部・カンボジアの一帯には扶南(フナン王国・1〜7世紀)がありました。ベトナム南部キエンザン省にあるオケオは、扶南の海外交易の中心都市と考えられている2〜6世紀ごろの遺跡です。1942年、フランス人ルイ・マルレ(Louis Malleret)が発見し、遺跡からは漢の鏡やローマの金貨などが見つかりました。なかでも、ローマのガラス玉・とんぼ玉も大量に発掘され、『ローマ=インド=インドシナ=中国』を結...
ラオス北部、ジャール平原のチャンニン地区には、最大で高さ3メートル、重さ15トンにもなる石甕や墓標石が多数集まる巨石遺跡群があります。これらの遺跡は1930年代にフランス極東学院のマドレーヌ・コラニ(Madeleine Colani)によって調査され、世界に広く知れ渡ることになりました。十分な深さのある石甕は骨壺として使われ、石甕の中や周辺の土中からは人骨や歯、鉄器や土器の破片、ガラス製ビーズなどの副葬品が発見されまし...
・真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづかこふん)・奈良県明日香村:6世紀中ごろ・2008年2月7日:村教委が発掘調査結果を発表・石舞台古墳をしのぐ巨大横穴式石室があることが分かった真弓鑵子塚古墳から、ガラス玉装身具が見つかった。周辺の古墳からは渡来系の遺物が出土しており、蘇我氏の配下として朝廷の外交や軍事などに携わった渡来氏族・東漢(やまとのあや)氏の墓域と考えられる。金銅製馬具やベルトのバックル、渡来...